おうし座パパの子育てエッセイ

5人の子どもを育てたパパのこころ温まる記録

サウンド・オブ・ミュージック

 私は独身時代、古い映画が好きでチャールズ・チャップリンオードリー・ヘップバーンなどの映画をVHSでよく観ていた。その中でも特に、ジュリー・アンドリュースサウンド・オブ・ミュージックが大好きで何度も観たものだ。

 結婚してからは、子どもたちとジブリ映画を一緒に楽しむことが多かったが、いつしか子どもたちもサウンド・オブ・ミュージックが好きになっていった。マリア先生とトラップ家の子どもたちとの触れ合い、美しいオーストリアの自然と音楽は我が家の子どもたちの心をしっかりと捕らえていた。

 長女が中学生の時だった。授業中に、先生がサウンド・オブ・ミュージックの話をしたそうだ。そして、「サウンド・オブ・ミュージックを知っている人」と聞いてきたので、娘は勢いよく手を挙げたそうだ。そして周りを見渡すと他に手を挙げている生徒はいなかったとのこと。

 その話を娘から聞いて私は少し残念な気持ちになった。そして、親が観ていないと、やっぱりその子どもは観ていないのかと思うのであった。古い映画であるが、心に残る名作である。困難を乗り越えて幸せを掴むマリアと心が一つなった幸せな家族の姿。これは実話である。是非、観てほしい。

朝のピクニック

 今から25年前。私たちは東京の中野に住んでいた。当時子どもは4人で末子は1歳だった。土日の休みの日は、みんな起きるのが遅い。当然、朝食もいつもの時間より遅くなる。

 そこで思いついた。外で朝食を摂ろうと。バスケットにパンと牛乳、マーガリンとジャム、それにマグカップやお皿を入れて、練馬にある光が丘公園へ車で出かけた。公園に着くと、公園内にある大きなテーブルで食事をした。朝のやさしい光とさわやかな風を受けて摂る朝食は格別に旨い。子どもたちも、いつもと違う場所での朝食を楽しんでいるようだった。

 食事の後は、もってきたバトミントンを楽しんだ。時間はたっぷりある。すこし汗を流し、家族みんながリラックスして過ごす至福の時間である。
朝のピクニック。是非お勧めしたい。

泣いた赤鬼

 次女が小学校低学年の頃だった。娘たちと何かの話をしているとき、「泣いた赤鬼」の話になった。ところが次女は、この話を知らなかった。誰でも知っている、この昔話を知らなかったので、親として今までこの話の絵本さえも見せたことがなかったんだな~と、少々反省の気持ちも湧いてきた。そこで私は、「泣いた赤鬼」の話をはじめから話して聞かせた。

 すると驚いたことに、話し終わると次女は、「そんな。青鬼が可哀そうだよ~」と言いながら泣き出してしまった。よっぽど私の話が上手かったのか、彼女の想像力が豊かだったからなのか分からないが、しばらく泣いていた。

 絵本の絵を見せながら話した訳でもなく、ただ私の話だけで泣き出すなんて、この子は頭の中でその話の場面をイメージして映像化していたのだろう。本当にこの子は優しい子だなと、感心してしまった。将来、絵本作家になりたいと、その頃言っていたので、その素質を持っていたのかもしれない。

パパ、主夫じゃん

 私は独身時代、6年間程都内のホテルで働いていた。ハウスキーピングやバーテンダー、レストランウェイターもしていた。その経験はとても貴重な経験で、今でも生活に役立っている。

 家のバスタブを洗いながら、「俺、これを仕事にしていたんだな~」と思い出すことがある。バスタオルやフェイスタオルもホテルのバスルームのように綺麗に畳んでクローゼットに収めている。

 食事のときは、妻や子どもたちのグラスの水がなくなると、すかさずピッチャーを持って水を注ぐ。食事が終わると空いたお皿を下げる。その仕草はレストランウェイターのときと変わらない。いつまでも空いたお皿がテーブルの上にあるのが気になるのである。

 それだけではない。朝、起きたときに最初に考えるのは、「今日は洗濯物を干せるのだろうか」と天気が気になるのである。そして、妻が起きる前に洗濯機のスイッチを押すのも私の習慣である。

 そんな姿を見て長女は私に「パパ、主夫じゃん」と言うので私は答えた。
「パパは自分のことを主夫だと思ったことはないよ。執事だよ。」
私は今でもそう思う。私は我が家に欠かせない執事であると。

息子への土産

 先日、仕事で訪問したお宅の奥様にドーナッツを土産にいただいた。小さな袋に入ったものだった。車に戻り、食べようかとも思ったが、ふと息子の顔が浮かび、食べるのを止めた。そして土産にもって帰り息子に食べさせたのだ。親とはそういう者だと思う。そして、あることを思い出した。

 数年前のことである。仕事でアメリカへ行った同僚が社員一人一人に土産物を買ってきたのだ。ハーシーズのチョコレートで300mlのペットボトル程の包みだった。そのときも私はその土産を家に持って帰り、子どもたちに食べさせた。しかし、そうではない者が1人いた。彼は、すぐその包みを開け、ボリボリと食べ始めたのだ。そして、あっと言う間に食べ終わってしまった。その量は多く、絶対にカロリーオーバーだろうと心配になった。何しろ彼は以前、脳梗塞で入院したこともある人である。それを一人で食べるのは本人の自由だからなにも言わなかったが、彼には息子が2人いたはずだ。その子たちや奥様に持って帰らないのかな~とも思った。

 聞くところによると、彼の息子さんはそのとき、大学受験を控えていて、勉強の邪魔になるから早く家に帰らないよう奥様に言われていたそうである。そのため、仕事が終わってもすぐ帰宅せず会社で時間をつぶしていた。毎朝、会社でコンビニ弁当の朝ご飯を食べ、みんなが帰った後も、会社でカップラーメンを食べていたようだ。勝手な憶測だが、彼は家に居場所がないのかもしれない。そして、自分の部屋もないのかもしれない。

 誰にもあげないぞ!という勢いで一気に食べていた彼の姿を思いだしてしまった。子どもの受験のために、その環境を提供している彼の子育ての姿かもしれない。

シール集め

 人は昔からきれいな物や珍しい物を集める習性があるらしい。私も独身時代、きれいな図柄のコーヒーカップティーセットを集めていたこともあった。また小学生の頃、切手を集めていたこともあった。

 私の娘たちも小学生の頃、シールを集めていたことがあった。花や動物や果物などの様々な絵柄のかわいいシールだ。それも長女と次女が同時期に集めていた。次女というものは、長女にライバル意識を持つようで、競うように集めていたようにおもう。

 ある日、2人は一つのシールの取り合いになった。次女のシールを長女が取ってしまったようだ。そして次女は「もう!Mちゃんのバカ!・・・もうだ~いきらい」と捨てセリフを吐いた。その言い方がとてもおもしろく、つい笑ってしまった。最初の「バカ」までは声が大きく、その後のことばは低音でボソッと言うのである。

 それを見ていて私は考えた。シールじゃなければいけないのか?きれいな切手でもよくないか?そして、私は切手集めについて2人に教えた。まず、家にある郵便封筒を数枚出してきた。それはどこからか送られてきた封筒だ。そこに貼られているきれいな切手をハサミで切り抜いた。そしてそれらをお皿の上に数枚おいた。次にお湯を沸かし、そのお皿に注ぎしばらく放置した。娘たちは不思議そうに見ていた。しばらくすると糊が溶けて切手が封筒の紙から剥がれるのである。それをきれいな布の上に置いてしばらく乾かし、2人に渡したのである。その切手はその後2人のコレクションに加えられた。それから二人はシールを取り合うことはなくなった。
 
 それから20数年経ったある日、次女はこの切手を剥がす技を職場でやったらしく「そんなこと出来るの?」と感心されたそうである。私も最近送られてきた郵便物にきれいな切手を見つけては切り抜いて机の隅にしまってある。そして、また切手を集めようかと密かに思っているのである。

クリスマスパーティー

 私がまだ30代後半の頃、勤め先のクリスマスパーティーが都内のホテルで行われ、社員とその家族が招待された。そのパーティーは宴会場で行われ、バイキングスタイルだった。

 食事が終わり、色々と余興が進み、最後にビンゴ大会になった。ビンゴカードは参加者全員に配られ、私の子どもたちにも配られた。そして、なんと次女が早い段階でビンゴを出した。私は娘に「あのお姉さんのところへ行ってもらってきなさい」と指さした。娘はさっそく景品がもらえる台に向かってトコトコと歩き出した。当時、娘は小学校低学年だった。

 景品の受け渡しを担当していた事務の女性は、それが私の娘だと知ると気をきかせて、景品の中の化粧品セットを手渡してくれた。それはフランスの高級ブランドで、赤いポーチに入っているものであった。

 娘は「これもらった」と言いながら戻ってくると、妻の両目はすでにその赤いポーチをロックオンしていた。そして「Yちゃん、ママにこれ、ちょうだい」と頼んだ。すると「え~?これ、私がもらったんだよ」と答えた。しかし、妻の両手はすでにそのポーチを握り「Yちゃん、Yちゃん」と何度も嘆願するのであった。

 その後、2人がどんな話をしたか知らないが、帰宅するとそれはしっかり妻の物になっていた。女の戦いは恐ろしい。