おうし座パパの子育てエッセイ

5人の子どもを育てたパパのこころ温まる記録

サンタさんて?

 クリスマスが近づいてきたある日のこと、娘が突然聞いてきた。
「サンタさんて本当はいないの?」
当時、娘は小学校低学年だった。クリスマスが近づくと友だち同士でクリスマスの話をするようになるものだ。そしてサンタクロースの存在を疑い始めるものだ。

 そこで私は次のクリスマスに芝居をすることにした。クリスマスの朝、娘が起きたと同時に布団から起き出し「あれ?これなんだ?なにかあるぞ」と言いながら、自分の枕元にある小さな包みを取り上げながら「これ、サンタさんからのプレゼントだ」と言い、中を開けると「あ!ゴルフボールだ。これ欲しかったんだ~。サンタさんありがとう!」と聞こえるように喜んで「あ!ママのところにもなにかあるよ。開けてみて。あ、それリップブラシだ。ママ、よかったね!」と大芝居をしたのだった。そして、娘たちにもサンタさんからのプレゼントが届けられていることを確認して、一緒に喜んだのであった。

 娘はこうしてサンタさんが本当に存在していることを確信したのであった。しかし、娘のためとはいえ、あのリップブラシはすこし高くついたな~

クリスマスのプレゼント

  ある日、仕事から帰ると部屋が散らかっていた。娘たちがおもちゃで遊んでそのままなのである。さっそく「片付けなさい」と言って片付けさせた。娘は小学校の低学年の頃だった。そして「せっかくパパが買ってあげたのに」と独り言を放ったとき、「え~?サンタさんからもらったんだよ」と娘が答えた。私はハッとした。そして「だったらなおさら、大事にしなきゃダメじゃない」と取り繕った。自分が子供たちに買ったおもちゃか、サンタさんからもらったおもちゃか、時間がたてば分からなくなる。このとき、私は30歳代だった。今後、しっかり覚えておこうとそのときは思った。

 しかし、その後、子どもも増え、誕生日にもプレゼントをするので、誰に何をいつプレゼントしたか分からなくなるものだ。特に5人も子どもがいると、思い出せない。ところが、もらった方の子どもは本当によく覚えている。関心する。これは何歳の誕生日にもらって、あれは何歳のクリスマスにもらったとか詳細に覚えているものだ。「あの像のぬいぐるみは○○歳の誕生日でもらった」とか言われて「ああ、そんな物もあったな~」と思い出した。その像の映像が私の脳裏によみがえったのだ。大きな像のお腹に袋があり、その中に小さな像のぬいぐるみが数匹入っていた。懐かしい。

 今では娘たちも成人して、仲良しの友だちや同僚、そして自分たちの子どもたちや伴侶にプレゼントすることもよくあるようだ。そして、プレゼントする喜びを味わっているのだと思う。プレゼントを贈る相手がいるということは、なんと素晴らしいではいか。娘たちよ。豊かな人生であれ。

連れてこい!

 小さな子どもを育てている両親にとって、子どもの急な発熱は厄介なものだ。特に共稼ぎの夫婦となると、どちらかが仕事を休んで、子どもを病院やクリニックへ連れて行かなければならない。突然の休暇願いはとても気が重いものだ。会社や同僚に迷惑を掛けることになる。誰でもそんな経験の一つや二つ、あるかもしれない。

 娘が小学校の低学年の頃だろうか。朝、起きたら熱があった。妻は学校を休ませるため電話をした。そして職場にも休暇願いの電話をした。すると職場の上司の返事は意外なものだった。
「何を言っている。連れてこい!ここは病院だ!」
妻は私に「連れてこいと言われた。これから出かける。」と言って娘と職場へ向かった。そうだ!妻は看護師なのだ。仕事を休んで近くのクリニックへ行こうとしていたが、自分の職場である病院へ連れて行き、先生に診察してもらうことになった。

 幸い娘は軽い風邪をひいたらしく、薬を処方していただいた。そして妻が仕事をしている間、処置室で休ませてもらったのだ。なんという上司のナイスフォローだろう。誰にも迷惑をかけずにことが済んだ。娘は夕方妻と一緒に帰宅したのであった。

手作りブランコ

 三女が幼稚園に通い始めた初夏の頃、その幼稚園で父兄同伴のピクニックの行事があった。当時東京都中野区に住んでいたが、行った先は練馬区にある光が丘公園だった。私は妻と四女の娘を連れての参加だった。
 
 昼食の時間になり、公園内の木陰に座りそれぞれの家族が持ち寄ったお弁当を食べ始めた。私はお弁当を早めに済ませ、近くにあった木の枝にロープを2本掛けて、簡単なブランコを作った。枝の高さはちょうど私が手を上に伸ばした位置だった。もし、適当な枝があったらブランコを作ろうと思い、予めロープを用意しておいたのだ。そして公園の中に落ちていた60センチ位の太い枝を座面として2本のロープに括り付けた。私は独身時代、ヨットを趣味としていたのでロープワークはお手の物である。食事が終わった娘に座らせて、試しにこいでもらった。完成具合は上々であった。
 
 すると、3人位の子どもたちがすでに並んでおり、さっそく「か~わって♪」と声を掛けてきた。え?私はちょっと面食らった。自分の娘を遊ばせるためにブランコを作ったのに、他の子のことは考えてもいなかった。しかし、誰でもブランコは好きである。眼の前にブランコが突然現れれば、乗りたいと思うのは自然のなりゆきである。娘も「いいよ~」と言って快くブランコを譲ってくれた。そしてその順番待ちの列はみるみるうちに長い列になってしまった。先生たちも集まって来られて、子どもたちが安全にブランコに掴まるように介助してくださった。そんな様子を見ていて私も妻も、みんな喜んでくれてよかったと思った。

 その年の秋、私たちは千葉県に転居したのであるが、娘が転園する際に頂いた寄せ書きには、その時のブランコの思い出を書いてくださったお母さん方のメッセージがあった。それはいとも簡単にブランコを作ったことが驚きであり、感動だったとお褒めの言葉だった。心に残るような思い出のひとつになれて本当に良かったと思う。多分、当の娘は覚えていないと思うけどね。

順番決めてね

 三女が幼稚園に通い始めてすぐ、担当の先生から連絡帳にとある報告が記されていた。それは娘と他の園児とのひとつのエピソードだった。

 2人の女の子が娘に「あそぼ~」と云って誘ってくれたとき、娘は「じゃあ、忙しくなるから順番決めてね」と答えたそうである。私の娘は2年保育であり4月から通い始めたばかりだった。そして、その女の子たちは3年保育であり、1年前から園に通う仲良しの2人だった。娘は集団生活は初めてで「あそぼ~」と誘ってくれたとき、3人でいっしょに遊ぶという考えに至らなく、一人ひとりと遊ぶと感じたようだ。そのため「順番きめてね」の発想になったようだった。それに対し2人の女の子は、3人でいっしょに遊ぶと説明してくれて娘は「あ、そうか」と納得したようだった。

 幼稚園で集団生活を体験することは、小学校へ入学するための準備期間である。とても大切な時期であり、子どもだけでなく親も人生で新しい体験をする輝きのときでもあると私は思う。

人生は人との出逢い

 人は生まれてから人生を終えるときまでに、沢山の人と出会う。その中でとりわけ楽しいのは、子どもたちとの出逢いである。子どもたちは我々に新しい世界を見せてくれる。

 幼稚園の運動会は楽しかった。特にリレー競争がおもしろかった。紅白2組に分かれて走るのだ。バトンは落とさないように丸い輪を使っていた。何がおもしろいかというと、子どもたちはそれぞれ成長のスピードが違うので、走るスピードも違うのである。とても速く走る子もいれば、マイペースでゆっくり走る子もいるのである。トラックのコーナーも大人のようにカーブに沿って走れる子もいれば、大回りになってしまう子もいる。中には親の顔を見つけてゆっくり走る子もいる。白組、紅組の順位はたちまち入れ替わり、どんでん返しの繰り返しで最後まで勝敗が分からないのが幼稚園のリレー競争である。

 本当に子どもたちは我々に喜びを与えてくれる天使だと思う。今でもときどき街中で幼稚園児の可愛い散歩の風景を見ることがある。とても可愛い。それを見るたびに「ああ、家にはもうあんな可愛い子はいないんだなあ」と感じる今日この頃である。

ハンドパワーです

 ある日幼稚園に通っている三女が「パパ見てみて」と云いながら近寄ってきた。娘は左手で鉛筆を握り、手の甲を見せ「ハンドパワーです」と云うと、パッと握った手を広げた。すると鉛筆は宙に浮いているのだ。「凄い!」私はとても驚いた。驚いたというより、驚いたふりをしていた。せっかく幼稚園で仕入れた手品のネタだ。見れば種はすぐ分かる。そこは親として付き合ってあげないといけないと考えたのだ。娘は右手で左手の手首を握り、人差し指で鉛筆を押さえているのだ。しかし、そこで種明かしをすると白けてしまう。私は「もう一回やって」とリクエストした。そしてもう一回やってもらった後に「これ、知ってる?」と言ってその鉛筆を受け取った。「鉛筆って硬いよね」と言いながら、鉛筆を曲げる仕草をする。もちろん鉛筆は曲がらない。そこで、鉛筆の先を親指とひと指指で摘み、ヒラヒラさせると「なんと不思議なことに鉛筆はグニャグニャになってしまいました」と言って自分の手品を見せた。

 実は娘がハンドパワーですと云って最初にその手品を見せてくれたときに、すぐにでもこのヒラヒラを見せたくてうずうずしていたのだ。そこはぐっとこらえて、もう一度ハンドパワーを見せてもらったという訳だった。子どものときに、大人から教えてもらった手品を娘のハンドパワーで思い出したのだ。

 人の脳の中には様々な記憶が眠っている。ときどき、子どもと遊んでそんな記憶を呼び起こすことが脳の活性化に繋がるのかもしれない。